それでも夜は星を連れて

夕暮れの道を並んで歩く

親父の記憶

君が父親との記憶、想い出について書いてくれたから俺も書いてみようと思う。うまくかけるかはわからない。なんて保険をかける必要はない相手ではあるけれど。

 

さて、親父のことを書く時、書かねばならないことは彼が国際結婚をしているとことだ。君もご存知の通り俺の母親は中国人だ。中国の大連というところだ。日本史で大連旅順で出てくるところね。

 

俺の父親は中国語が話せるし、読むことも書くこともできる。もちろん聴くことも。今は衰えて多分できないけれど、ある程度は読めると思う。俺の実家には親父のたくさんの中国語の勉強ノートがあって、凄まじい努力をしていたことがわかる。

 

さて、親父はどうして中国語を勉強して、中国に行って、中国人と結婚に至ったのだろう。

俺が何回聞いてもあまりちゃんとした答えをくれたことはなくいつもはぐらかされてしまう。

親父は今64歳である。彼がいなくなってしまう前にいろんなことを聞き出したい。

 

親父は高校を卒業した後、自衛隊に入り(習志野のやつ)、そのあと自衛隊をやめ(酔っ払うといつも自衛隊の話をしていた、よほど誇りを持っていたのだろう)、放浪してらしい。そういえばうちには戦艦のプラモデルがたくさんあるし、親父はいつも戦争映画や、戦争ドキュメンタリーを見ていたな。(ミッドウェイ海戦とか)

 

日本各地を放浪しながら(お金はきっと自衛隊の時に貯まったのだらう)、お金がなくなるとレストランで住み込みで働いていたらしい。自衛隊に入ると料理も運転もできるようになる。そういえば、親父は料理がめちゃくちゃうまかった。特にオムレツ(俺たちはそれをフワトロと呼んでいて、ケチャップとマヨネーズを交互にかけて食べていた)。あとは豚キムチもハンバーグも絶品だった。俺の母親が好きだったのは親父の豚の角煮だった。

まあ君の親には敵わないかもしれないけど、とにかく俺の親父は料理が美味かった。ちゃんと免許とか持ってるし。それにしても料理が上手いというのは本当にいいものだよね。君の美味しい料理でワインが飲みたいよ。

親父の手の込んだ豚の角煮もいいけれど、俺は母親の適当な野菜炒めが大好きだな、やっぱり僕はチキンライスでいいや。

 

まあそれは置いておいて。親父が若い頃放浪していたというのはなんだか自分に似ているんじゃないかという気がしてくる。俺の性格は間違いなく母親譲りだと思うのだけど、やることなすことは父親に似ているんじゃないかと。双極性障害が似ちゃったのは最悪だけど、実は俺は父親に似ているのではないかと。

 

親父の話をしていると、少し泣きそうになってしまう。たくさん本を買ってくれたこと。たくさん漫画を買ってくれたこと。映画をたくさん見せてくれたこと。かるたの試合をいつも応援してくれたこと。取れないクレーンゲームにずっと付き合ってくれたこと。少年野球のユニフォームを買ったこと(下手で申し訳なかった)。早稲田に受かった時死ぬほど喜んでくれたこと。

 

今度、君とお酒を飲みながら親父の話をしたい。俺たちもいつのまにか親父って呼ぶようになったね。母親のことは名前呼びだけど笑

 

次は母親のことを書いてみようと思う。

in my life

今日もあまり楽しみではない飲み会へ行く。会社の忘年会だから仕方ない。

楽しみだろうがそうでなかろうが、結局出席するのだからある程度は楽しむ様に努力したいし、楽しむことが飲み会主催者への礼儀なのだろう。(実際、酒の力は偉大で、クソほど興味ない奴と喋っていてもそこそこ心のボルテージを上げることはできる)

「必要のない人付き合いはするな」と、よく他人に講釈たれてみたりするのだが、正直自分が一番できていないと思う。

僕は (最近になって確信したが、)割と他人に興味がない方なので、つまらなそうな飲み会へ向かっている時や、お酒が回るまでは基本鬱だ、、、今もこの記事を書きながら涙を流している。


そんな意味のない人付き合いもあれば、少し目を閉じて心の中をのぞいてみると、僕が今まで見つけてきた「愛すべき人の姿」を思い浮かべることができる。

こういう時、不思議なのだが、その人の像だけではなく「大切な場所」や「その場の空気」なども一緒に想起されることが僕は多い。

そういった人や場所は、本当に少ないし変わりゆく物もある。

 

昔、母方の祖父が長野県の穂高という場所に別荘を持っていたので(僕が小学校3年生くらいの時に売り払ってしまったけれど)、夏休みや年末によく家族で遊びに行っていた。

流山から車で3時間くらいかかるのだが、父の運転する車のリズムは絶妙な子気味よさで僕の眠気を誘い、出発してからの30分と穂高に入ってからの30分くらいしか起きておらず、道中の記憶は全くと言っていいほどない。

だが、目は開かなくとも耳は聞こえているから、よく父が流していた「The Beatles」「basia 」「boowy 」あたりは、今でも僕のソウルだ。

 

穂高はとてものどかな場所だった。視界は一面緑色で、街を横切っている川(川の名前はもう思い出せない。というか当時も知らなかったかも)の側でよく水遊びをしたりキャンプをしたりした。

消えない思い出だ。

こういう思い出は、「父の記憶」なのか「場所の記憶」なのか、たまにわからなくなる。結論、どちらでもいいのだが、、、

おっと、ちょうど今不毛な飲み会が終わった。本当に苦痛だった。最近は、酒を飲んでいても結構つまらない。

本当につまらない。頑張らなきゃいけない事は基本つまらないものだ。

 

In my lifeというタイトルにしたから、もっと書きたいことがあるのだけど、酔ってしまったので今日はここまでで投稿します。

 

In my life2をご期待ください

君が書いてもいいよ。

 

All you need is love.

愛について書いてくれてありがとう。

 

そう、俺も全く同感で、金なんてどうだっていいのよ。だって金なんて人間が作り出したものじゃないか。そんなものに支配されるなんてアホくさすぎないか?それに比べて愛は元々あったもの。そしてきっと奪うでも与えるでもなく、気がつけばそこにあるもの。

 

All you need is love, love is all you need.

 

人間は醜くてたまらないものだけど、それでも俺は美しい愛を信じてこのクソッタレな世界を生きていこうと思う。

 

友よ、そう思わないか。このクソッタレな世界を生きていくためには、ファッキンなラブが必要だろ?

 

お金に囚われるほどつまらない人生はないよ。お金なんて本当にどうだっていい。チャップリンは言ったよ。人生に必要なのは勇気と想像力とほんの少しのお金だってね。だけと俺は少しばかりの修正をしたい。人生に必要なのは勇気と想像力とありったけの愛だってね。ほんの少しのお金すらいらないというのは大きく出ただろうか。そして愛もありったけじゃなくていいのかもしれない。ほんの少しの愛だって、人を救うかもしれない。ほんの少しの愛を生きがいにすることだってできるかもしれない。

 

俺たちがこういう考えをできてるのはこだまさんが良い映画をたくさん見せてくれたからだと思うよ。ライフイズビューティフルや、フォレスト・ガンプを見せてくれたから今の俺たちがあるんだと思う。だから俺たちが親になったとき子供にそっとフォレスト・ガンプを見せてあげようじゃないか。フォレスト・ガンプといえば、ババシュリンプというお店は知ってる?もちろんフォレストガンプリスペクトのお店でもし稜太郎が行ったことがないのなら是非一緒に行ってみたい。後楽園にあるそうだ。絶対楽しい。エビのアヒージョが食べたい。(キャンプでアヒージョやんね?)

 

結局人生なんだかんだ愛なんだよな。俺たちは照れ臭くてダメだけど、だからこそお酒を飲んで愛を語るんだよな。というかもうサシでお酒を飲むという行為自体が愛だよ。

稜太郎は言ってくれた。彼女と俺だけでいいと。本当にありがとう。お前の友達になれたことは俺の誇り。恥ずかしくて困っちゃうけど、本当に大切な友達、いや家族だと思ってる。

 

こういう恥ずかしいことを言ってもいいんだよね?笑このブログは。

 

いつか俺たちも死ぬ。今は25歳で人生が永遠かのように感じるけど(意外とそうでもない?)、必ずおじいちゃんになり、死んでいく。

死ぬまで愛の物語を綴っていこうじゃないか。きっと愛こそが全てという俺たちの考えは間違っていないよ。

 

何度も言う。お金なんてどうだっていい。愛こそ全て。

 

P.S. 久しぶりにブログ書いてるけどやっぱ楽しいわ

さあ、自分との闘いだ!

もう、25歳です。

恐らくもう明日には死んでます。


25年も生きていれば大抵の人間は、「自分の考え」というやつを持っていて、それに対して内省的に向き合うことで不明瞭だった自分の真の輪郭が見えて来たりします。


「自己を認識するための他者」とはよく言いますが、自己はある意味でもう1人の他者だったりするのです。

 

「自分の考え」は、他人に披露するよりも、自分にぶつけてみる方が有意義なことが往々にしてありますよね。そういう「旅に出ないタイプの自分探し」、これから積極的にやっていきたいですね。


僕は今まで、「自分と真剣に向き合う」ということをしてきませんでした。

 

それは、向き合えば必ず剥き出しになるであろう己の「汚さ」や「醜さ」を受け止める自信がなかったからです。


この(交換)日記では、たった一人の聴衆を加えて、自分の本音と闘っていこうと思います。

(カッコつけすぎとか言うなよ死ね)

 

決意表明記事は結構書くのよな

今回は続けます

 

 

さて、君がお金の話をしていたから、僕もお金についてちょっとばかしコメント(前段の内容吹っ飛ばして自分と戦うわけではないんだが、)


よく「金か愛か」と言う話を聞くよね。結論「愛」の方が圧倒的に大切だと思う。(無論、君も愛を選ぶだろう?)


デヴィ夫人とかいうたまたまインドネシアのお偉いさんに好かれた水商売上がりの売女が、


「金のある男をえらぶ。金がある男には愛情を持てなくても尊敬と信頼が持てる」

とかほざいていたのを思い出す。

めちゃくちゃ笑わせてくれてありがとう水女。


そもそも「愛がなくても」という表現をしている時点で、「尊敬と信頼」が「愛」の補完品である認識がある訳で、セルフ論破してるんだよね。


つまり、本当の「愛」を見つけることができなかった人間、もしくは見つけることを諦めた人間が「男は金だ」とか「人生結局は金」とか言い始めてしまうのだ。


愛を探すことを諦めた人達は可哀想です。

アリでもノミでもなく、せっかく人間に生まれたのに、その矜持を自ら捨ててしまうのだから。


得てして、本当に大切なものなんてこれっぽっちもないんだよね。

 

むしろ、二つ以上ある様なものは大して特別なものではないんだ。

(この考え方は生涯変えることはないです。)

 

と、こんな感じで初回はプチコメントさせてもらいました。集中して文章書くの読書感想文以来だから疲れました。

 

やっぱ君は文章が滝の様に生まれて来たりするのかな?

これからはプロスピどこのブログを楽しみに生活していくね!

 

よろしくう!

パスモに800円入っていたので、サイゼリヤに行った

1発目のブログはサイゼリヤで書いています。パスモに奇跡的に844円入っていたからだ。今財布の中もPayPayもすっからかん。なんでこんなにお金がないんだ。

 

16時にもなっていないというのに、赤ワインのデカンタ(250ml)を飲み、ほうれん草のソテーとミラノ風ドリアを食べました。

 

稜太郎の前で見せたことがあるか覚えてないけど、俺はミラノ風ドリアにオリーブオイルをかけて食べるのが好きです。多分知ってるよね?

 

しかし、今日は調子に乗ってかけすぎてしまいました。はっきり言ってクソまずいです。

ほうれん草のソテーにもオリーブオイルをかけました。そちらは美味しかったです。

 

だから若鶏のディアボラ風とライスを食べればよかった。もうミラノ風ドリアはやめる。

 

さて、今僕はお金がないです。

本当に困窮しています。普通の人だったらすごく萎えると思いますが、僕はあんまり萎えていません。

 

なぜならお金がなくてもある程度幸せに生きることができるからです。

 

朝飯は寝てるから食べなきゃいい。昼飯は冷蔵庫にたけちゃんがなんかしら入れてくれていますが(今は混ぜご飯があります)、夜ご飯を美味しく食べるために、昼を抜くのが最適解なのではと思います。痩せるし。

 

そして、夜はたけちゃんがなんかしら買ってきてくれるか、作ってくれます。

はい、お金がかかりません。

 

そして、娯楽はといえば、友達とのライン(可愛い)、妄想、部屋の掃除、Twitter、散歩、僅かな金での飲酒、ネトフリ(稜太郎ありがとう)、U-NEXT(慶さんありがとう)、そして我々にはプロスピがあるじゃないですか。

 

夜中、稜太郎から「こい」あるいは、「やれんの」というラインがくると、僕はとても嬉しい気持ちになります。もっと嬉しいのは、「テルあり?」の一言です。電話をしながらプロスピをやっている時間は至福の時間です。無料でこんな楽しい時間を与えてくれるKONAMIは神です。いや、無料じゃねえんだよなあ。のむけんゲットするために課金したからなぁ。まあそれは置いておいて。

 

だから、今日書きたいのはお金がなくてもある程度幸せに生きることができるということです。もちろんある程度お金はないと困ります。家賃もあるし、携帯料金もあるし。(こないだ払えなくて航大に助けてもらった、マジで感謝)

 

「いや、お金なかったら飲み会いけないやん、遊べないやん」

 

確かにそういうツッコミが入るのもわかります。でも本当に行きたい飲み会であれば、本当の友達がいるはずです。彼に「わり、2週間後に払うからちょっとツケ頼むわ」といえば済む話です。そういう友達がいない飲み会なんていかなければいい。中途半端な人付き合いがあると無駄にお金がかかります(かといってその無駄が無駄じゃなくなったりするので全否定はしません。そもそも無駄なんて言葉をあまり使いたくない。無駄なんてないと信じたい。)

 

俺は今までこれが言えませんでした。変なプライドがあって、お金を貸すのは全然平気だけど、お金を借りることがすごく嫌でした。

 

でも今回クライシスを迎えて、後輩にお金を借りました。13日の障害年金で返します。みんな意外とあっさりと貸してくれました。本当に助かりました。

 

人は助け合って生きていくものだし、そうでないとダメだと思います。俺にできることはするし、できないことはしてもらう。そうやって助け合って生きていくから人生は楽しいし豊かになるものだと思います。結構マジで。みんなそれぞれ地獄があって、その中でも共存していかねばなりません。俺たちはどこからきて、俺たちはどこに向かっているのか。

 

お金についてはたくさんの書籍が出ています。興味があるものがあるので、年金が入ったら買って感想をこのブログに書こうと思います。もっと経済のことも勉強したいし、でもお金と幸せの哲学についてもっとたくさん考えたいし、議論したいです。

 

てことで今日給料日だよね?君

 

20000円貸してください笑

 

携帯とパソコンどっちで書くのがいいんだろう。稜太郎どっちで書く?